沿革

了慶寺の由来

 本山直末で、天正16年(1588)、僧了法の開基。
「寺院に関する調査」によれば、往古は天台宗で、龍宝山徳香院と称した。江州志賀郡にあり、僧了敬法師住す。文明2年(1470)蓮如上人三井寺の別所近くに移住のとき高徳を慕い弟子となり、法名了敬、六字名号を賜る。俗姓は杉原信濃守重遠の嫡流杉原北馬大輔である。

 天正年中(1574~1592)、織田信長の大坂合戦のとき当寺了法師、教如上人より天正山と号し、了敬寺と称した。

 その後寛永年中(16241644)、僧西念のとき、尾陽源敬公、当寺に立ち寄り、御名の一字を賜り、了慶寺(りょうけいじ)と銘ぜられた。