
「譬(たと)えば高原の陸地(ろくじ)には蓮華(れんげ)を生ぜず。卑湿(ひしつ)の淤泥(おでい)にすなわち此の華を生ずるが如し。」
『維摩経(ゆいまきょう)』「仏道品(ぶつどうほん)」『大正大蔵経』第14巻549頁

『維摩経』は、蓮の花が泥の中から咲くという譬えを使い、
「清らかな悟りは、汚れた世間のただ中でこそ開かれる」と説いています。
インドでは蓮華は最も美しく、浄土を荘厳する花、仏道を歩む菩薩を象徴する花とされ尊ばれてきました。
その蓮華は誰もが理想とするような高い境地「高原の陸地」には生ぜず、誰もが避けたくなるようなじめじめとした汚い場所「卑湿の淤泥(汚泥)」の中にこそ生ずるのだと言っているのです。
多くの人は「菩薩=煩悩のない高い境地にいる存在」と思いがちですが、
『維摩経』はそれを否定し、
煩悩のただ中にこそ仏道の目覚めがあると説いています。
自分の煩悩を深く見つめるほど、
他者の苦しみに共感する心(利他)が自然に生まれます。
つまり、自利と利他は煩悩の世界の中でこそ育つのです。
矛盾や悩みが尽きない私たちの日常こそ、
仏の願いに触れ、真理に目覚める場であると教えているのです。
「汚れた世間を生きる私たちの現実こそ、仏道が開かれる場所」なのです。




